あのころ…1981年 RYOBI 255MG

あのころ…1981年 RYOBI 255MG

1981年、255MGリールが誕生し15年近く生産・改良・サイズ追加・販売され、金型寿命を迎えて製造が終了した。
ロングセラーであり、北米・欧州をメインに8万台近く販売されたと記憶している。

RYOBI 255MG

また自分自身がフライフィッシング(以下、FF)が好きで、この低番手用のリールを愛用できたこと、釣友が使っているのを拝見できることは、全くプロダクトデザイナー冥利に尽きる幸せなことと言える。
以下、開発に携わった者として記録しておきたい。

<プロローグ>
1980年3月、就職したのがダイカストメーカーのR社のデザイン室だった。

デザイン室の主な業務は完成商品部門と呼ばれていた印刷機、建築用品、電動工具、釣具の各事業部門の製品開発だ。高度経済成長以降の日本経済は石油危機や円高による不況を乗り切り,安定成長時代を迎え開発ラッシュで社内は活気に満ちていた。

配属当初は各事業部の担当デザイナーの下で開発のアシスタントをしたり、複数部門を掛け持ちすることもあった。
半年余りの本社(広島県府中市)研修を終え東京本社(ニ本社制だった)にて勤務がスタート。
新築なったばかりの東京本社(秋葉原)はまだ社員もまばらで、ゆったりしたデスクスペースにデザイン、製図備品なども必要なものは申請すれば用意してもらえた。
申し分ない環境だった。

東京勤務も慣れてきた初秋のころ、最初の担当となるフライリールの開発の仕事が与えられ、勉強がてら見よう見まねでFFを始めていた。
当時は国内にFF雑誌などは少なく、社内にもハマっている人は見当たらず、プロショップは敷居が高くて高価な海外製品が並んでいて、気軽に相談できる雰囲気じゃなかった。仕方なく書籍を購入したが、それら洋書の写真から受ける印象は、平地をゆったり流れるスプリングクリークでの釣りであって、日本の山地渓流には当てはまらない感じがしていた…
もうまったく別世界の話的な感じw

<255MG開発スタート>
設計部門から青焼の構想図面が届いたのは1980年の11月だったと思う。
シンプルなラチェットドラグ機構(この爪の向きを替えて左右巻き方向をチェンジする)以外は何もない、唯一、スプール脱着が中央のプッシュボタンを押してワンタッチで行えるという機構(ディプロマットに見られたような)が組み込まれていた。
極めて単純な構造のリール図面。
製造方法はマグネシウムダイカストと決まっていた。ネーミングのMGはマグネシウムからとった。
釣用リールのボディは通常ADC10〜12などの機械的性質、被切削性、鋳造性が良いアルミ合金が一般的だったが、今回はマグネシウム合金。
これは耐食性・強度を向上させ軽量化が目的があったが、鋳造性や表面処理性は劣る、つまりデザイン上はマイナス面が増えることを意味していた。

ところで、アルミダイカスト製のR社フライリールはすでにラインナップされていた。
RYOBI 355である。

RYOBI 355

このリール、表面処理は結構良く、しかもインスプールタイプのボディ色は青味がかったグレー、そして鋳出しの文字レイアウトなど良い感じであるが自重はそれなりだった。
スプールの多孔穴は○ではなく□、ダイカストならではであり当時の他社製にはめったに見られないデザインだった。
国内のフライフィッシング市場はいわゆる黎明期で、店頭に並ぶ商品は外国製ばかりでRYOBI 355にお目にかかることはなく、北米・欧州向けだった。
新たに開発するリールはこれより小型サイズなので255だったようだが255の意味は設計者に聞いたが忘れた(笑)

当時でもフライリールの双璧はオービスCFOとハーディー社の製品群で、国産ではスミス社マリエットMR-7が魅力的であった。

ORVIS CFO-II

ハーディLightweightはインスプールタイプであるのに対しCFOはアウトスプールタイプ。軽量化のための基本構造は絶対に後者である。さらにフレームとスプールに小さな穴を沢山あけ、通気性と軽量化を実現することも既定方針であった。目標自重は70gを切ること、(CFO-IIは74g)これは至上命令だった。

さて秋からデザインワークに取り掛かった。
スケッチブックにラフイメージを描いては、ベラム紙にマーカーレンダリングしていた。

マーカーレンダリング

当時のレンダリングでは、丸穴パターンと異形穴パターンの両面で展開している。何れにしても湯流れを阻害する大きな穴や複雑形状は、設計者からクレームがついてボツとされた。
1981年が明けて、デザイン案は二つに絞られ、モックアップも製作した後、丸穴パターンに決定した。またスプールは高輝度シルバーメタリック、ボディはブラック塗装となった。

1981年3月30日、255MGデザイン図面が完了。
その後、ボディ中央部のオーナメント電鋳銘板の版下と仕様図を出図。
4月には設計図面も出図
量産試作ができたのは夏のことだった。
1981年末には海外へ出荷。

255MG 1982Catalog_USA

<1982年国内発売開始>

255MGの3面

春のフィッシングショーでデビューした255MGの国内販売がスタートした。
□マグネシウムダイカスト一体成型のボディ&スプール
□自重:66.2g、スプール外径:75mm
目標の70gを切りまさにSuper Light
□プッシュボタン式スプール脱着
ワンプッシュ機構は便利だが、スプール交換など脱着の頻度は低く従来のレバーピンタイプに対してのアドバンテージとは言えない。

255MGはこうして量産なったが、これで終わったわけではない。
すぐに、355MGと455MG、最後に357MGが追加され低番手から高番手までラインナップがなった。

左から、255MG,355MG,357MG,455MG

*********自重 ラインNo. 標準価格
255MG 66.2g #3〜#5 7000円
355MG 82.4g #5〜#7 8000円
357MG 3.7oz #6〜#8
455MG 117.1g #8〜#9 9000円

<1995年ラインローラー付に改良>
開発当初から気になっていたボディ下の支柱部にセラミックラインローラーが前後に装着された。

右:セラミックラインローラー部品が装着

低番手では頻繁にラインが抵触しないかもしれないが、それでも擦れることはあり、ラインへの損傷が心配されていた。
この7.3mmの支柱はバックラッシュやラインだれ防止、地面に置く際などに有効だが、断面でみたライン側の角R=0.5と最小限だった。
もっと丸味が欲しいところだが将来ラインローラーを装着する計画がありこの単純な形状となったのだ。
このローラー仕様の前に丸いガイドを装着した試作品が存在したが、量産はならなかった。
実際このラインローラー2本を装着した状態は良いと思っている。

左:丸いガイドを装着した試作品 右:量産仕様

さらに、もう一つ改良モデルが存在した。ディスクブレーキ仕様である。
サイレントモデルとも呼んでいたが、これは少量生産で終わったようだ。

<255MG総括とそれ以降>
このリールデザインはどうかと言われれば、残念ながら満足感からは程遠い。
マグネシウム合金の粗い地肌への光沢塗装はお世辞にもきれいとは言えない。
ラチェット音はCFOのような軽快感はないが、まずまずだと思っている。
ドラグ調整も不正確で無いよりましのレベル、もっとも活躍するシーンは国内ではめったに見られないが。

初期型255MG

いろいろあるが自分にとっては子どものような存在であり、この開発に関わらなかったらFFをやっていなかったかもしれない。
そして、間違いなく今の自分はいない。
255MGは国内ではフライ市場よりも落し込み釣りなどで多くの釣師にご使用いただき、R社もその情報を元に続々とヘチ・落し込み専用リールを開発していった。
決して高級感や先進的なイメージはないが、実戦的でお手頃価格だった。
FFの草分け的な存在の一人 しばた和氏は255MGを愛用してくださり、釣り雑誌などに写真を掲載してくださった。
そこに写る255MGは塗装が剥げ落ち、もうボロボロできったない姿であった。
よくぞこんなになるまで使い込んでいただけた…、ただもううれしかった。
川原で初めてお目に掛かったFFマンさんが偶然にも使用してくださっていると、もう感動なのだ。

255MGがいよいよ金型寿命がつき、モデルチェンジされた680MGのことは次回に譲りたいと思う。

<補足>
拙ブログをご覧いただいた方から、255MGリールの左右巻き方向変更の仕方についてご質問をいただきましたので、簡単にご説明させていただきます。
こうしたラチェットドラグタイプのリールの場合は、このラチェットのきく方向を考えて左右の向きを変えれば大抵は対応するはずです。

255MGリールの左右巻き方向変更の仕方について