あのころ…1992年(たぶん)遥かなる銀山湖

あのころ…1992年(たぶん)遥かなる銀山湖

このところ鎖骨再骨折により釣行できない悶々とした日が続いている。
この機会に古〜い写真の断片を繋ぎつつ、あらたに撮影も加えて「あのころ」をぽつりぽつりと書いてみよう思った。
私のささやかな備忘録として。

奥只見湖、通称「銀山湖」へは8年近く毎年通った。
銀山湖は、福島県南会津郡檜枝岐村と新潟県魚沼市に跨る、阿賀野川水系只見川最上流部に建設されたダム湖である。

湖の流れだし付近に数軒あるボートハウスのおなじみの一軒「荒沢ヒュッテ」でビール片手に夕食を摂っていた時、玄関ががらりと開いて釣り師が二人帰ってきた。
もうあたりは真っ暗で、こんな時間まで粘っていたのかぁと見ると、
どさりと獲物を土間に置き、なにやら店主・佐藤さんに話しかけている。

おおお!でかい。
見事な50オーバーのサクラマスとイワナがストリンガーに掛けられて横たわっていた。
他のお客さんと一緒に箸をおいて見に行った。
ヒレはぴんぴんで体高があり、美しく妖艶なピンクがかった魚体、まだ生きていた。
興奮の二人はまくしたてている。
日が暮れかかった頃、ダムサイトぎりぎりでヒットしたとのこと。
このサクラマス、皆さんで刺身にして召し上がって下さいと言って腰を下ろした。
これだよ、これ。
僕が追いかけてるヤツは!

その数年後の5月上旬。
自宅のあった横浜から関越自動車道の高坂SAで友人I氏と待ち合わせるのは深夜23時、2台のジムニー SJ-30が高速道を北上。
関越トンネルを抜ければ長い下り、小出インターを降りて奥只見シルバーラインを登る。
ところどころ水が滴る長いトンネルを抜け右折すると湖の流れ出しが見えてくる。
真夜中の2時の湖面はひっそりと静まり、周囲の山並みが闇に浮かんでいた。
湖岸のお馴染みボートハウスの駐車場にジムニーを停めてシートを倒しすぐに仮眠。
2時間半後にはどんなドラマが始まるのだろう。

4:30 ガバッと起きる。

荒沢ヒュッテ前にて

(参考までに:この写真はこの記事の前年の6月だったと思う、もう雪は遠くの嶺にしかない。毎度こんな感じで出撃の仕度をした。)

ヒュッテの店のガラス戸をガラッと開けて、おはようございますー!
予約しておいたので、佐藤さんも手際よく船着き場に下りて船外機のエンジンをかけてくれて、
行ってらっしゃい!早く上がったらだめだよ粘ってね!
早朝の湖面は霧に包まれて神秘的ですらある。
時折、静寂を破ってマスが湖面に顔を出すなかをエンジン全開でダムサイトを目指す。
湖岸はびっしりと雪に覆われて風は冷たく、防寒着をしっかり着込んでいた。

このレイクトローリングでの私のタックルは、

ライン:レッドコアと呼ばれる鉛の芯の入った太い18lbラインを100yds.
ロッド:9〜10ftくらいの柔らか目のアクション(シーバスロッドなど)
リール:両軸リール(シマノTRITON TLD 3000L、ABU ambassadeur 7000Cなど)
ルアー:TACKLE HOUSE Twinkleなどのミノーやアワビスプーン、タスマニアンデビルなど
レッドコアには10m毎に色が付けられており、ボート速度と、このラインを何色出すかによって、ルアーを流すタナを調節する。
銀山湖では超低速(アイドリング状態)から人が早足で歩く程度のスピードで流し、8色(80m)のレッドコアを流し出した場合だと泳ぐ深さは約8mだろう。
仕掛けは友人と各々2セット用意し、両弦にセットする。8色と5色という具合にタナを変えてある。

この頃は魚探も使わず、地形(岬周り、かけ上がり、湖岸際、流入河川、水通し)を読みながらトレースしていた。
友人I氏と二人で交代しつつ操船。目はしっかりとロッドの先端を見つめつつ…
陽が高くなると次々に上着を脱ぎ身軽になっていく。
コーヒーを飲んだり、ラーメンを食べたり、タバコをふかしながら湖岸を眺める。
そして時折ワンドに入ったり流入河川を遡上してはキャスティングで探る。

この日の午前中は全く不調。
午後からは晴れ間が広がった。
両舷に各2本差し出したロッドからは長くレッドコアラインが引き出され、ボートの進行方向に沿ってゆっくり追随しているが、もうずっとうんともすんとも反応がない。

午後に入り、広く二股に分岐している岬周りのエリアを集中して周回してみた。
長く湖面に突き刺さるような岬の先端をかすめてボートを進め、ちょうど80m先のルアーが岬先端のかけ上がりで方向転換したタイミングでガツンとティップが引き込まれた。
急いでロッドを手に取り、ボート上に立った。
素晴らしいパワーでラインが出ていく、ぐーんと曲がった竿にはぐいぐいと重い手応え。
レッドコアがひゅんひゅんと風切り音をたてていた。
銀ピカのマスが二度どーんとジャンプを繰り返し、ラインを切ろうとローリング。
しかし両軸リールのパワーは強烈でじわじわと寄せ、I氏が玉網で掬い上げてくれた。
精緻な銀体にレッドバンドの美しい55cmのメスニジマス、ローリング跡が数本できていた。
計測後ボートの生け簀に入れた。
残念ながらこの日はカメラを持参していなかったので、まぶしい魚体を写真に残すことはできなかった。

夕方、雪の湖岸にボートを着けて、再び玉網にマスを入れラッセルして斜面を登りヒュッテへ。
夕食の支度中だった店主に剥製にしたいと告げると、丁寧に新聞紙にくるんで冷凍庫へ収めてくれた。
あこがれのサクラマスではなかったが、5年以上通ってやっと釣った50オーバー。
以降、小型サクラマスやニジマスは釣ったが50オーバーは叶わなかった。
そしてレイクトローリングの主戦場もやがて中禅寺湖へと移っていった。

 

翌年の夏前、ひょっこり大きな木箱が桐生から届いた。
出てきたのは剥製だった。
当然のことながら、魚体はあの銀ピカではなかったが、掬った直後の鮮烈な印象はまぶたに焼き付いている。

今もリビングに掛かるニジマスの剥製